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日々感じたことをメモ書き

1日1ドルで生活をする「極度な貧困生活」の実態とは

1日1ドルで生活

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Netflixでふと目に止まった『1日1ドルで生活』という映画を見て感じたことを、忘れない内に書き残そうと思う。

 

以下が映画のあらすじ。

若者4人の友達がグアテマラの田舎へ約2ヶ月間の旅に出る。1日に使えるお金はたった1ドル。ビデオカメラを手にして、空腹、寄生虫、生活難による極度のストレスに耐えながら、なんとか生き残ろうとする。通常のアメリカの若者にとって、この直面する現実は想像を絶するだろう。事実、世界で11億人が貧困で苦悩しているのだ。仲間たちは、そう簡単に解決策が見つかるわけがないと理解するが、寛容で忍耐強い20才の女性ローザと12才の少年チコが、くじけない希望を与える…少しでも世界を変えていく効果的な方法があるんだと。

 


Living on One Dollar (2013) A Must Watch Documentary

 

YouTubeは英語のみでしか見れないが、Netflixであれば日本語字幕で見られるので加入している人はそちらで見るとよい。

  

1.世界には1日1ドル以下で生活する人が10億人、2ドル未満で生活する人は30億人いる

映画の冒頭で世界には1日1ドル以下で生活する人が10億人以上いるという事実を初めて知り、かなり驚いた。というのも、まず自分にとって1日1ドル以下で生活をするということがリアルに想像できなかったから 。

 

いま、何不自由なく物にあふれた生活をしている自分にとって、もし1日1ドル以下の生活をしなければいけない状況になった場合を想像したら、どうやって生きていくのかを考えてみたのだが、これが難しい。まずガスなんてないから火は自力で起こさなければいけない。であれば、火はどのように起こす?燃えやすい物は何か?できるだけ火を永続的に燃やし続けるにはどうすれば良い?日本では綺麗な水をどこからでも飲めるが、そうではない国の場合どうするのか?汚れた水を出来るだけろ過して飲めるようにしたい。ではろ過をする方法は何?

こんな風に色々と考えていくと自分は人間として生きていくための手段を何も知らないのだと気がつく。でもそれもそのはずで、日本みたいな豊かな国に住んでいればこんな「極度な貧困生活」を考える機会がないわけで、火の元となるガスはどの家庭にも敷かれていてコンロを回せばすぐに火がつくし、電気なんてスイッチを押すだけでつくし、水なんて蛇口をひねるだけですぐに飲料水として利用できる。

 

このようにあらゆるものが便利に効率的に整備された現代に、本来人間が生きていくために必要とされる環境を0から作り上げていく手順を知っている人は本当に少ないと思う。そうであれば原始時代とかを生きぬいてきた先人達の知恵というのは本当にすごいなと感じる。

 

2.より良い生活のためだけではなく生存のために戦っている

これは映画の中で最も印象に残った言葉。 

映画に出てくる、グアテマラにある貧困地域の村で生活しているほとんどの人は、日雇いで不安定な日々を送っている。それでいて、子供のいる家庭では両親が日々不安定な収入しか得られないため、小さいころから学校へも行かず仕事をしなければいけない。そして学校に行けず勉強をする機会がないまま大人になっても、収入も変わらず不安定で、次に生まれてくる子供もやがては小さい頃から仕事をしなければいけなくなる。

貧困に関する勉強を詳しくしたことはないが、映画を見るだけで先ほど挙げた負の連鎖が貧困地域には起こっているというのがよく分かる。

 

 

映画を見ていて印象的なシーンがいくつかあった。

小さい頃から自分の将来が予期できる

たったまだ12歳の子供に「将来どんな仕事をするの?」と質問した時に「農夫になる」と答え、「じゃあもし、今の環境を考えずに本当にやりたい職業があれば何?」と質問した時に「プロサッカー選手になりたい!」と答えた。

このシーンを見て悲しい気持ちになった。悲しい気持ちになった理由は、たった12歳の子供がすでに将来自分のしなければいけない仕事を予期できているから。ぼくが12歳の頃なんて、これから中学生になるという年齢で将来のことなんか考えずに、ただ毎日を楽しく遊んで暮らしていればよかった。それが、こういった貧困地域に住む子どもたちは若い時からすでに将来が予想できて、家族が生きていけるように学校へも行かず仕事をするだけ。

 

学習意欲の高い子どもたち

親が金銭的な問題で子どもたちに学校へ行かせてあげられない。将来の夢は明確にあって、勉強をすれば自分の夢を叶えられるチャンスがあるのにも関わらず、貧困のために幼い頃から夢を捨てて仕事をしなければいけない子どもたち。こういった子どもたちがアメリカから来た4人の青年に英語を教えてもらい、笑顔で楽しそうに学ぶ様子を見て、ふと自分の今までの学生生活を思い出した。

振り返ってみれば、今まで勉強を楽しんで取り組んだことはあまりなかったように思う。宿題は毎回ため息がつくほどやる気が出なかったし、でもやらなければ成績は悪くなるから嫌々やる。授業がおもしろくないのは、その授業をおもしろく教えることができない先生達の責任であると勝手に決めつけたりもした。

 

小学校が終わる頃は「次は中学校に進むのか」、中学校が終わる頃は「次は高校に進むのか」、高校が終わる頃は「就職のためにも一応大学に進もう」といった感じに1つのステージが終わる毎に次のステージが当然あるものだと思っていた。だから自分にとって勉強ができる環境というのは当たり前で、特に勉強ができる有り難みなんて身に持って感じたことはない。

でも本来、誰もが当たり前に勉強ができる環境を手に入れられるのは、日本という豊かな国に生まれて、日本という国が僕達に十分な勉強ができる環境を与えてくれて、そして親が学費をしっかり払ってくれているからという背景を忘れていた、ということを映画を見て気がついた。

そう考えると、自分たちは本当に恵まれていると自覚せずにはいられないし、今の環境に本当に感謝しなければいけない。学校の授業がおもしろくなくても、図書館に行けば無数の本があり、インターネットを使えば無料で質の高い授業を受けることだってできる。身の回りに完璧に整備された環境を活かすのも活かさないのも自分次第。 

 

「極度な貧困生活」を送る人々のドキュメンタリー映画を見て、改めて自分の置かれている環境に感謝しなければいけないと思ったと同時に、自分にできることは何かを考える良い機会になったと思う。